岡山県

西粟倉

にしあわくら

西粟倉村にある、一番の地域資源は「心」。心産業の議論から、この村のチャレンジが始まった

「平成の大合併」を拒み、自立の道を歩みはじめた小さな村。その孤独な船出は、決して楽なものではありませんでした。そんな西粟倉村の地域再生に寄り添ったのがアミタ株式会社(アミタホールディングス株式会社の子会社以下アミタ)です。アミタHDの代表取締役会長の熊野英介さんが西粟倉村に初めて訪れたのは2004年のこと。熊野さんが西粟倉村にもたらしたものは、村の常識を覆す新しい価値観ばかり。今の西粟倉村を象徴する「心産業」「百年の森林構想」「起業家の村」の礎を築きあげた熊野さんと、当時を知る” 西粟倉村・最初のローカルベンチャー“株式会社木の里工房 木薫(以下木薫)の國里哲也さんにお話をお伺いしました。熊野さんの優しい関西弁の語り口をそのままにお届けします。
 

西粟倉村の「心産業の創出」を導いた人

 
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木薫の工房を見渡して「すごくよくなっている。稼いでる匂いがするな」と嬉しそうな様子の熊野さん

熊野さんと國里さんがはじめて出会ったのは2004年。当時、総務省の地域再生マネージャー事業の一環で、民間企業の感覚を地域の経営に活かしていこうという西粟倉村の地域再生コンサルティングに関わり出したことがきっかけだといいます。

熊野さんは、まず道上正寿村長(当時)に西粟倉村の将来を背負うであろう若者を10人集めてもらいます。その中の一人が國里さんです。國里さんは当時、西粟倉村森林組合(現・美作東備森林組合)の職員でした。しかし、村の主産業だった林業は時代と共に廃れ、村も過疎化していました。

熊野:僕らは、総務省から西粟倉村に派遣された当初は、村の観光施設の立て直しをお願いされていました。けれど、僕の中では、やっぱり社会の「大量生産・大量消費といった」量的拡大モデルには限界があるというか、それを続けると環境破壊につながるというのは自分の商売を通じて分かっていたので、地域では価値競争で市場を生み出すような質的経済モデルをつくらなあかんという仮説を持っていました。

第一次産業が元気になれば、中山間地域は活性化する。だから早々に「この村は森林の村やから、林業再生を考えていこう』とみなさんにお話しました。

國里:このようなお話しを毎月聞く日々は、僕ら田舎の人間からすれば衝撃的でした。熊野会長の話は毎回、毎回、自分を奮い立たしてもらえるというか。自分自身の今の現状に危機感を持つようになりました。

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僕は大阪に働きに出ていましたが、長男だったし、Uターンで西粟倉村に帰って来ました。そしてそのまま森林組合へ就職しました。当初は「ぬるま湯やな、田舎は」「いかん、ここに染まってはいかん」って思って自分を奮い立たせていました。でも、10年ぬるま湯に浸かっていたら忘れるじゃないですか。人間って。そんな頃に熊野さんに出逢って大変刺激を受けました。

熊野さんは月に一度、西粟倉村を訪れては、村長や行政職員や村を担う企業人、そして若者へと、「この村はもう一度挑戦できる」と熱弁を振るいます。議論の中、西粟倉村は、地域再生マネージャー事業の会合の中で村の理念を示すテーマ「心産業の創出」を見つけていきました。

熊野:会合のたびにみんなで頭を抱えて考えていたね。「西粟倉村にはなにもないんです」って。そんな中で、何度も会議で試行錯誤したなぁ。ホワイトボードに「森」、「田舎」、「川」、「林業」って、この村にあるもののキーワードを書き出して、どれを一番メインにするかみんなで頭を悩ませていた。

そんなとき、「あるとしたら、西粟倉の心かなあ」と誰かがつぶやいたんや。他の地域にもどこにも無いものは、”西粟倉の心“だということに気がついて。当時の村長だった道上さんの発言からも、故郷を想う気持ち、森林を想う気持ちをすごく感じていた。

都市の人たちは「木は高い」と思っているけど、西粟倉村の人は「木は安い」って言っていました。工業化社会の中で、大量生産・大量消費を進めてきた、ひずみやね。このやり方はもう限界になってきてる。新しく質的経済モデルの具体例をつくっていくことは、西粟倉村だけでなく、これからどこの地域でも大事になっていくやろうと思いました。

物をたくさん作って売って終わりという産業ではなく、お互いに信頼しあえる豊かな関係性を、産業を通して作り出していきたい。そういった地域経済を再構築したい。今でこそ、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という言葉が知られるようになってきていますが、西粟倉村では、10年以上前からこうした議論を続けていました。

熊野:そこから、「じゃあ、その心を具現化するのにどうしたらいいんや、心をそのまま産業にしたらええやないか。それを『心産業』と呼ぼう」ということになったんやな。

同じ読み方である「森」の意味も込めて、「心産業」という言葉が、こうして誕生。森林を活かしながら、心と心が通い合う産業を生み出していくという、新しいチャレンジをしていくことになったのです。

 

「心産業」の本懐を訊

 
「心産業」というキーワードは見つかったものの、具体的にどのようなことをやっていくのかは暗中模索。毎月の会合で、熊野さん、アミタのスタッフ、西粟倉村役場、そして村人が思案するがなかなか決まらなかったといいます。

熊野:「心産業」とはどういうものなのかを定義する日々でした。商売も合併も地域再生も、結局は理想とそろばんのバランスの話です。僕の中にあった仮説を西粟倉村のみなさんに聞いてもらいました。DSC_5623

例えば「コーヒーが飲みたい」というニーズがあるとします。美味しいコーヒーは安ければ安いほど売れる、のがそろばんの話。しかし、スターバックスは他のファーストフード店のコーヒーより倍以上するのに売れるやん。高いのに売れるのは、お客さんはコーヒーを買っているのではなく、スターバックスに居る時間や場所を買っている。人の本当のニーズは、表面には出ません。真実は何も見えないし聞こえない。見えるものだけで反応したらあかんねんな。

消費者は「安いほうがより良い」としながらも、それほど安いものを追求せずに、便利なものや価値があるものを購入しています。それは、定価で物を売るコンビニが増え続け、ディスカウントストアが廃業している現実からも顕著に表れています。我々は、「モノ」を購入しているのではなく、「モノ」を通じてライフスタイル=自分らしさを買っているからなのです。

消費が原則の経済に振り回されて疲弊した過疎の村が、その悪循環を断ち切るために、まったく逆の方向へ進むことを決めて、辿り着いた「心産業」。それは人と人のつながりを大切にすることで潤う地域経済のことであり、モノと一緒に心も届けようという産業の在り方です。西粟倉村が、消費者にとって得難い価値が体感できる村になれば、村の産業はすべて「心産業」になる、と考えました。

熊野:西粟倉村が素敵になれば、西粟倉村で売っているものは全部買いたくなるやん。それが新しい生活産業になるんやな。

國里:…こういう話を、僕らは毎月懇々と訊き続けました(笑)。でもこういう、難解な話も、聞いていくうちに染み付いてくるんです。そうだ、僕たちが大切にしている心を届けようって、みんながひとつになりました。そんな熱量に役場も焚き付けられて、今のように多くの挑戦ができていると思います。

こうして、西粟倉村の「心産業」は森林保全と心のつながりを大切にしながら、地域経済に貢献することを目指すことになります。「心産業の創出」という目標が決まると、地域再生の道として、地域資源である森林を見直した林業再生の道を探りはじめます。

2058年まで村の森林を守る理念「百年の森林構想」や、地域内だけにとどまらず、森林を大切にしたい想いでつながる「共有の森ファンド」(2009年当時アミタ子会社であった「トビムシ」が実施した、国内初の森林・林業支援の事業ファンド。※2011年9月に株式を譲渡し、トビムシは子会社より独立)が、西粟倉村の価値を高めていきます。

國里:あと、僕は「心産業」って、僕らの志だと思うんですよ。「共有の森ファンド」にお金を出す人も、西粟倉村を目指して起業したいって来る挑戦者も、すごく儲けようとかじゃないと思うんですよ。志を持って来る。それを受けいれる村にもなっています。

そんな國里さんは、一念発起して、勤めていた森林組合をやめて、西粟倉村で起業することを決意します。若者が起業するなんて、小さな村の中では、今までに例がありません。國里さんの心の奥底で燻っていた挑戦の炎をつけたのは熊野さんの熱量だったと言います。

國里:僕はアミタとの関わりがなかったら木薫を立ち上げていなかったと思います。林業活性化に関わる木の会社をつくりたいと熊野さんにご相談したときに、「林業活性化のために西粟倉村の材木でできたものをつくる会社を作りたい、つきましては僕にはお金がない、熊野さん、支援してもらえませんか。ただ、口は出さないでください」と言いました。無茶苦茶です(笑)。でもそんな無茶を聞いてくださって、2006年にこの村で起業ができました。本当、感謝、感謝です。

熊野:國里くん、経営というのは英語でなんと言う?

國里:マネージメントですか?

熊野:そう。マネージメントを日本語に直したら「管理」。経営とはマネージメント、そしてマネージメントとは何かというと、本質は人の心を掴んでなんぼなんよ。お客さんの心を掴む、社員の心を掴む、そこからスタートするのがマネージメントなんやな。そこからスタートするのが経営なんやけど、今の経営学というのは人の心を掴むことを教えへん。数字の心を掴むことだけを教える。だから経営が遠い世界になっていくんや。

國里くんが起業するにあたって、事業になるのか?うまくいくのか?と悩んでいる時に、「君は人の気持ちがわかるやろ?」って訊いたら「分かります」っていうから「ほな儲かるわ」みたいな話をしたよな。

國里:しました。

熊野:起業はそれが大事で、それが分かっている國里くんやから口は出さんでも大丈夫やと思いました。

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そうして國里さんは、保育施設などで使う、家具や遊具を作るという事業を始めました。将来、木を育てたり使ったりするであろう子どもたちに、早くから本物の木に触れてもらいたい、木の良さを伝えたい、という想いからです。
 

理想が高ければ高いほど、仲間が必要だ

 
こうして、木薫は2006年「西粟倉村最初のベンチャー企業」として起業。そこから、身を投げ打って起業した国里さんの挑戦を契機に、この村で挑戦する人たちを発掘していくことが重要だと西粟倉村役場は「村の人事部」こと「雇用対策協議会」を設置します。役場が中心となって、空き家を移住者へ斡旋する交渉を進めるなど、村の挑戦者(移住者)を受け入れる体制が加速化していきます。

そして、2008年「百年の森林構想」が掲げられます。「地域には捨ててはいけないものがあります.約50年前に子や孫のために木を植えた人々の想い.その想いを大切にして,立派な百年の森林に育て上げる.そのためにあと50年,あきらめずに村ぐるみで挑戦を続ける決意をしました」。このメッセージはかつてないインパクトを与え、その構想に導かれるように「西粟倉・森の学校」、「木工房ようび」が次々と西粟倉村で起業します。「挑戦者の村」の誕生です。

熊野:起業家になりたいんやったら、成功するコツは簡単で、多くの知識を知る、学ぶ。そして高い理想を掲げる。それに正確な設計図を描く。設計図を描いたものを、強い心でやり遂げる。これができたら、経営は簡単や。

これをものすごく簡単にする方法は、志を同じくする人間同士で仲間をつくること。知識持った仲間を集めて、高い理想を議論して。「本当にやりたいか?」「本当にやりたい!」「だったら、どうしよう?」ってみんなで考えたら自動的に設計図と仮説は検証できる。「誰がやんねや?」「いやお前がやるんや!」「俺!」とか言って、どんどん事業が回るんや。

日本ではとくに、仕事は一人でやったほうが早くて簡単だ、と抱え込む風潮がありますが、熊野さんはそれをズバリ「そう思うのは理想が低いからだ」と言い切ります。理想が高ければ高いほど仲間が必要になるといいます。

國里:僕らは起業当時、従業員6人ではじめましたが、10年経った今、10人になりました。熊野さんが「志を同じくした者で集まってやればいい」と話してくださったことがありましたが、本当にその通り。僕1人やったら、ひょっとしたら2年ぐらいでやめていたかもしれません。大分心折れていましたから。

「仲間探しは簡単でした」と國里さん。人材募集や人を集めようとイベントをしたわけではありません。國里さんがひたむきに仕事をしている中で、「面白そうなことをやっているね」と興味を持つ人を片っ端から「じゃあ一緒にやろう」と誘ったといいます。

熊野:人材は募集すれば、集まるのは集まるんや。起業スクールなんて開いたらぎょうさん集まるからな。でも、今の若い人らが苦手なのは、強いむすびつきの関係をつくること。親子ですら曖昧な方が楽やという世の中や。それでも「感動したい」という人間の本能があるので、事業という媒体で自分たちの価値観を転写して、それについてきた人間と結びついていく。それが仲間集めの第一歩なんやな。

仲間集めるのは難しくないねん。ただ仲間になるのが難しい。3年ぐらいかかる。それは、事業という一つの目標に対して、妥協しなければ妥協しないほど、仲間になる速度は早い。だけど、人をみて妥協したら、むしろ仲間になる時間がどんどん遅くなる。つまり仲間になるというのは、各々が、事業をどう見るかなんです。だから仲間を見ながら事業を見て、お客さんを見て、お客さんを見て事業を見て、仲間を見て、この繰り返し。こう、もみ合うわけや。3年間、それを真剣にやれば仲間ができる。そしたら事業も次のステージに上がります。
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すなわち、ビジネスの根本は人の心を掴む力だという熊野さん。熱を帯びる人間が自然とリーダーになり、その熱をいかに仲間に伝えられるかで事業のスピード感が決まります。そうして、人や想いがつながっていくキーワードはやはり「心」。森林でもなく、環境でもなく、西粟倉村の根底に流れるものはいつだって、心なのです。

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